不都合な「真実」~ゆっくり自殺する人々/ひふみ会(2016/12/12開催)

こんにちは(^o^)

昨夜は「ひふみ会」を開催しました。

週の始まり月曜日、お仕事でお疲れのところ参加してくださった皆さん、どうもありがとうございました!

東京からとんぼ返りで参加してくださった◯◯さん、その熱心さに頭が下がりますm(_ _)m

 

 

さて、今回も『神との対話3』(ニール・ドナルド・ウォルシュ/サンマーク出版)の読書会を行いました。

 

前回のひふみ会では、「死」から得られる気づきを共有させていただきました。

「死」があれば「生」もあるということで…

今回は、「生」とは切り離すことができない「セクシャリティ」に関する話が展開され、私自身も感じることが多くありました。

このテーマについて是非ともお伝えしたいと思ったのですが、とても深く大きなテーマであるため、なかなか整理するのが大変な部分もあります。

私の準備が整い、時が来れば自然とお伝えすることになると思います。乞うご期待!

 

では、今回読み進めた中で気になった一節を紹介しましょう!

 

 

真実を知ったら、何とかしなければいけなくなるからだ。

それは、いやなんだよ。

だから、見て見ぬふりをするしかないのさ。

 

何とかするためには、自分の楽しみをあきらめねばならない。

楽しみはあきらめたくないんだよ。

 

 

対話の中で取り上げられていたのは、「自殺」について。

自殺は、広く一般的な倫理的認識として、“OKではない”とされています。

多くの宗教や社会文化的な観点から見ても同様です。

 

それでは、自殺はダメなのに、喫煙や飲酒、化学物質で処理された食物の摂取がOKな理由は…?

それらは身体に悪影響をもたらすことが分かっているのに、商業的に推奨され、許されています。

長い時間がかかるから、この“自殺”はOKだとされているのです。

 

どうやら、私たちの社会においては、単に時間の問題なのかもしれません…

長い時間がかかる“自殺”は罰せられることもなく許され、もっと即効性のある毒であれば倫理と法に反すると言われるのです。

 

「迅速に自分を殺すことが、ゆっくりと自分を殺すことよりも倫理に反している」というのは、本当に真実だと言えるのでしょうか?

 

何が正しく、何が間違っているかということを言いたいのではありません。

この“自殺”の例えのように、私たちは様々なことから目をそらし、見て見ぬふりをしながら生きているという事実に気づくことが大切だと思うのです。

まずは、ありのままを受け入れること…

それができなければ、本当のスタートは切れないのです。

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございました(´∀`)

 

 

 

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