うつ、不安症、パニックの後に7

皆さん、こんにちは。今日もご視聴ありがとうございます。

熊本では、久しぶりに雨が降っています。でも、あんまり寒くはないですね。

寒がりの私としましては、何とか「このまま夏へ~」という気持ちです。

どうぞ今日もよろしくお付き合いください。

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前回は、自分を極限まで追い詰め、死にたくなってしまう無意識のプログラム「存在するなの禁止令」に

ついて私の「父の死との出会い」を事例にして考えてみました。

今回は、私の「誕生」を事例にして、もう少し過去にさかのぼってみたいと思います。

私は昭和28年10月28日、父28歳、母18歳の時、この世に誕生しました。

その時のことはよく覚えていません。もちろんですけどね・・・。(^-^)

後で聞いたことですけど、ここまで来るのにいろいろな出来事があったようです。

その中でも、私を妊娠中、両親に離婚話があり、その寸前までいったことを聞かされました。

理由は姑(ばあちゃん)と、若いというより幼い母との折り合いが悪く、母は何度も実家へ

帰っていたようです。

「妊娠中の離婚話」その時の母の感情を想像しただけでも少し胸が詰まる思いがします。

母はこの時、不安(恐れ)、怒り、悲しみ、後悔、絶望などいろんな感情が渦巻いて眠れない夜を

過ごしていたのではないかと思います。

私も、胎内でその母と同じ感情をきっと体験していたんでしょうね。

その頃の私は、母の身体の一部なのですから、逃げ出すわけにもいかないしですね。

私は、幼いころから不眠があり、周囲をてこずらせていたようですが、それも

私を出産する前の母のこの経験が大きく影響しているのかも知れませんね。

その後もこの不眠の症状は、繰り返し現れ、私は、ストレス→不眠 不眠→ストレスの

循環からなかなか抜け出せませんでした。

母の感情体験を、いくつになっても自分の体験として身体が覚えていたんですね。

突然襲ってくる原因不明の恐怖、緊張、怒り、悲しみ、何かの出来事があって

そうなるのではなくただ寝ててそうなるんです。

また、ほんの小さな物音にびっくりして飛び起きたりすることもしょっちゅうでした。

「今度はいつ、どんなことが襲ってくるのか」など不安で不安で、おびえた一夜を

過ごしたこともありました。

今ではその記憶も頭の隅に残っているだけで、毎日ぐっすり眠れています。

有難いことです。

 

・・・もし、あの頃、母が何度も死にたいと考えていたとしたら、私の身体にも、その願望が

「死にたくなってしまう無意識のプログラム」として残っているかもしれませんね。

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それでもこんな環境の中で、生き延びてきた自分がいます。

それを支えてくれた家族や仲間がいます。

みんな誰かの役に立てるのを待ち望んでいるのです。

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私は私に感謝している。 私はあなたに感謝している。

私は私の絶望を認める、 私は私の恐れを認める。

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ちょっと冷え込んできました。風邪などひかないようにしてくださいね。

今日も最後までご視聴頂きありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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