うつ、不安症、パニックの後に6

皆さん、こんにちは。今日もご視聴ありがとうございます。(^^)

大谷翔平選手がまたホームランを打ちましたね。

すごい選手だと思います。ケガをせず、ずっと活躍して欲しいです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

前回は、「希死念慮」「存在するなの禁止令」「ドライバー」の関係を考えてみました。

今回は「存在するなの禁止令」を私たちがどうやって受け入れていくのかを

私の経験から振り返ってみたいと思います。

禁止令は「親あるいは養育的立場の人」から受け取ります。

受け取る年齢は0歳から7歳ぐらいまでとされていますが、私は、お母さんの

お腹の中にいる頃からそれは始まっているような気がしています。

何の根拠もありませんがそんな気がするのです。

私には5歳以前の記憶がほとんどありません。

皆さんはいかがですか?

私の記憶が始まっているのは、6歳の誕生月の「父親の死亡事故」からです。

父の仕事は漁業で海苔の養殖を手掛けていました。

ところがある日、仕事で海に出ていた時、大波が来て船が転覆したのです。

しばらくは転覆した船につかまっていたのですが「助けを呼びに行ってくる」と

言い残して船から離れ泳ぎ出したそうです。(救助された仲間の人からの話です)

それからどうなったかはわかりませんが、3日後に、水死体で発見されました。

当時、父34歳の年です。

葬儀、埋葬、私の記憶は父の死から始まりました。

その前の記憶は偶然消えたのか、自分で消したのか、もちろん覚えていません。

早い時期での親との死別は、「存在するなの禁止令」に大きな影響を及ぼします。

なぜなら「両親の生き方」は、子供にとっては、今、そして未来においての

「行動の見本」なんですよね。

知らず知らずのうちに取り入れてしまいます。

短命な両親、不幸な両親に対して、尊敬の念や罪悪感を強く持った子供は

「親より幸せになってはいけない」「親より長生きしてはいけない」ことを

無意識に決断していることがあるのです。

私の場合も何となくありそうな気がしています。少なくとも一つの要因には

なっていると思います。

それから、20年間ぐらいは当時の悲しそうな母親のイメージが時々

浮かんできていましたから。

 

・・・私はいまイメージの中で、6歳の自分を抱っこして、当時24歳の若かりし母と

握手をしています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私は幸せに生きていい・・・・・。 誰もが幸せに生きていい・・・・・。 

私は健康に生きていい・・・・・。 誰もが健康に生きていい・・・・・。

私は愛されていい・・・・・。   誰もが愛されていい・・・・・。   

私は楽しんでいい・・・・・。   誰もが楽しんでいい・・・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

あなたは自分になんて言ってあげますか?

今日も最後までご視聴頂きありがとうございました。(^^)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメントを残す

コメントを投稿するにはログインしてください。