皆さん,こんにちは。今日もご視聴ありがとうございます。
熊本はあちらこちらで、つつじがきれいに咲いています。
陽気は本格的な初夏です。
今日もどうぞお付き合いくださいね。
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悲しみの感情についてこんな表現があります。
悲しみは自然な感情だ。
悲しむことができるから、言いたくないときにも「さよなら」が言える。
人は何かを失う体験をしたとき、自分の中の悲しさを表す。
愛する者を失う悲しみもあれば、コンタクトレンズをなくした悲しみも
あるだろう。
悲しみを表すことができれば、悲しみは処理できる。
悲しいときには悲しんでいいんだよ、と言われて育った子供は、
大人になったとき、悲しみは健全だと思える。
だから、とても早く悲しみから抜け出せる。
悲しむことを批判されて育った子供は、大人になって泣きたいとき
苦しい思いをする。
だって、泣くなと言われて育ったのだから。
だから悲しみを抑圧する。
抑圧され続けた悲しみは、慢性的なうつになる。
非常に不自然な感情だ。
人々は慢性的なうつのために人殺しをしてきた。
戦争が勃発し国が滅んだ。
《神との対話(3)ニール・ドナルド・ウォルシュ サンマーク出版より》
悲しみの抑圧は暴力を生み出します。
DVは悲しみや恐れの抑圧の結果だと言われています。
わずかな刺激に触れ、抑圧された悲しみや恐れが一気にあふれ出し
解離した状態で、我が子や配偶者、家族に暴力をふるう。
後悔する。そして深くて重たい罪悪感にひたる。
DVは、このパターンを何度も繰り返しているのです。
私は悲しい。私は悲しい。私は悲しい。
私は悲しんでいい。私は悲しんでいい。私は悲しんでいい。
今は悲しんでいいよ。今は悲しんでいいよ。今は悲しんでいいよ。
自分の悲しみは自分が受けとめてあげるしかないのです。
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私は暴力的夫、暴力的父親の過去があります。
抑圧した悲しみや恐れを暴力に転換していた自分に気づいた時
それを止めることできました。
人は自分の弱さ(悲しみ、恐れ)を受け入れたとき
本当の意味で強くなれるのかも知れません。
今日も最後までご視聴頂きありがとうございました。
